

くりこ
@kurikomone
- 2025年10月9日分解の哲学藤原辰史読みたい
- 2025年10月8日価値を否定された人々中野智世,木畑和子,梅原秀元,紀愛子前半優生学の歴史がかなり詳しく書かれていて面白い p.26 「ナチスドイツでは、優生学を用いることで福祉予算の軽減になり、一部の優生学者は強制断種を支持する立場をとっていた」 との記載で、アイスランドはほぼ100%出生前診断をするためダウン症の子供が生まれなくなったと言う話を思い出す。 アイスランドは福祉国家なのだが、結局ケアされる人口を下げることで質を維持しているのではないか?(ここはちゃんと調べたい)
- 2025年10月8日
- 2025年10月6日私のからだは私のもの平井美津子読みたい
- 2025年10月5日価値を否定された人々中野智世,木畑和子,梅原秀元,紀愛子読んでる優生思想と、優生学をごっちゃにしていた。 p.26 優生思想 人間の生命の価値づけに基づいて生存の適否を判断する思想 優生学 人種改良により、価値高き人からなるユートピアを作るための学問。生殖コントールと関わる問題
- 2025年10月5日
- 2025年10月5日
- 2025年10月5日ハンセン病とキリスト教荒井英子読みたい
- 2025年10月3日ケアの倫理岡野八代読んでるp.94 「男性を対象にした道徳性の発達モデルにおいては、個人が置かれた文脈より、自分の考えを合理性や普遍性の入った原理に照らし合わせて明確に語ることが高く評価される」というくだりでは、一般的に男性は論理的だが女性は感情的であると言われていることと関連してるように思う。 男性が論理的に話せるというのは、この社会の文化が男性向けに作られたものであるから、その文化に付属する言語で容易に話すことができるのだ。「感情的である」と言うことはその社会の文化に属することができない豊かな言葉を持っていると言うことを示す。(ここは田中美津が『取り乱しウーマンリブ』の「取り乱す」と言うことを重要視してたこととも関連してるような。晩年田中美津が鍼灸師になったことも、男性向けに作られた社会で奪われた体を取り戻す過程なのかな)
- 2025年9月30日ケアの倫理岡野八代読み始めたずっと後手後手にしてた本。やっと図書館で借りてきた! 第一章を読む。 ラディカルフェミニストと、リベラルフェミニストの違いがいまいち分かってなかったのでそこから解説してくれるのが良い。なかなか面白い本!
- 2025年9月30日女の子たち風船爆弾をつくる小林エリカ読みたい
- 2025年9月29日アンジェラ・デイヴィスの教えアンジェラ・デイヴィス,浅沼優子読んでるBLMに多大な影響を与えたアンジェラデイビスの本。冒頭からかっこよさが伝わってきてテンション上がるーー! p.17〈私は共産主義者で、進化論者で、国際主義者で、反人種主義者で、反資本主義者で、フ ブロ・ワーキング・クラスエミニストで、黒人で、クイアで、アクティヴィストで、親労働者階級で、革命家で、知的コミュニティ構築者です。〉 p.14<自分では変えられないものを私はこれ以上受け入れるつもりはない。自分が受け入れられないものを変えていく>
- 2025年9月28日「女の痛み」はなぜ無視されるのか?アヌシェイ・フセイン,堀越英美
- 2025年9月28日日本のポストフェミニズム菊地夏野まだ読んでる第二章 「日本におけるネオリベラリズムジェンダー秩序」 性別役割分業や女性の社会進出がネオリベラリズムとどう結びついて強化されているかの指摘に目から鱗。 忘れそうなので下にメモ。 ーーーーーーー 1, 85年の男女雇用機会均等法を著者は日本型新自由主義の始まりでありフェミニズムの敗北と指摘する。 「コース別雇用管理」(基幹的業務で責任、仕事量、配置転換、転勤が多いが昇進昇級等の待遇はよい総合職に男性、補助的業務で仕事量や責任は少なく、転勤、配転はないが待遇は低い一般職に女性を配置する)によって、男女の性別役割分業は強化される 2, 99年 男女共参画社会基本法 均等法で確立されている賃労働のジェンダー秩序は温存されたまま、男女二元論を国家に向けて参画する目標を設定し、それが望ましい社会の在り方だという認識を打ち出した。「2人稼ぎ手」の新自由主義的な社会的再生産は法的な支持を得た。 3, 2015年 女性活躍推進法 国家を中心とした男女二元論に立って邁進する女性の在り方がモデルとして挙げられた。企業と一体化する女性を増やし、人的資源の再生産も協力に期待されている(これが、いわゆるリーンインフェミニズム)
- 2025年9月27日わたしが誰かわからない中村佑子読み終わった最近頻度は少なくなったものの、昔の私は他者と長く関係性を持てば持つほど、自分の行動が私の意志によるものか相手の意思によるものか分からなくなることがよくあった。 小さい時は他人の痛みが自分の痛みみたいに感じられて苦しかったこともあって(今もその傾向はある)自他の境界のない人の特徴だから治したいと思ってた。しかし著者が、ヤングケアラーはケアするものケアされるものの両者の間の行き来が頻繁に起き、自己崩壊と自己保存が起こるため自我境界の融解というレッスンを日々受けているのだと、その特性を悪いものととらえず、違う視点で考えてるのが面白かった。 「自己の輪郭が溶け出し開いている=誰かのために生きていることは、自分のための生もまた同時に燃え広がっている」とラストで書かれていたのは、ティックナットハンのインタービーイングに近いのかなと感じた。 ヤングケアラーの語りの本は色々読んできたのだけど、著者が「書くことができない」ことを経て、より深いところに潜り、ケアとは何かを0から構築している。私のケアの経験も違う角度で照らしてくれた。著者が、最初に感じている「言葉がない」状態は、逆説的に他の人は経験したこともない豊かな言葉を持っているということなのだと思う。読んでよかった。 p.182 〈幼いころから敏感に感じていた自我の揺曳は、精神的に不安定な母に付き添う時間のなかで育った感覚であるともいえる。つまりヤングケアラーである自分はずっと、自我境界というレッスンを続けていたといえる。母の具合の悪さや不安が、部屋のすみずみまで伸び縮みするように感じ、そのなかで時間も伸び縮みし、時計の針の音が妙に大きく、自分の鼓動のように感じる。〉
- 2025年9月26日女性のいない民主主義前田健太郎
- 2025年9月26日慣れろ、おちょくれ、踏み外せ --性と身体をめぐるクィアな対話森山至貴,能町みね子読みたい
- 2025年9月26日他者の苦痛へのまなざしスーザン・ソンタグ,北条文緒読みたい
- 2025年9月26日わたしが誰かわからない中村佑子まだ読んでる幼少期から暮らしてた叔母は八年前に亡くなった。彼女との思い出は正直に言ってしんどいことがとても多かった。重度の障害を抱え、排泄着替え食事の介護を家族で担い、医師には医療を断られ、彼女の「問題行動」に振り回されていつも家は内戦だった。 いつも私の中で彼女が生きてた時間は混沌としててパズルのピースがバラバラになったように散らかっている。私がフェミニズムや、家族をテーマにした文献をよく読むのもその時間を整理したいと言う思いがある。 精神疾患の母を持つ著者がヤングケアラーをインタビューして自身の体験に向き合う本。 他人の意思を先回りして自分の意思より尊重してしまう癖、ケアしてる人との境界が曖昧になり自分がわからなくなること、もう死ぬのではないかと言う目に遭っても少しの日常会話で平安が訪れる家族の不思議な力学についての言及など、 私と似通ってることが多くて自分自身が浮き彫りになる。 なにより、他の人の方がもっと大変な目をしてるのではないかと言う思いや、自分は家庭内で被害者でもあり加害者でもあることの負目から、自分が「ヤングケアラー」と言っていいかわからないと言う著者と同じ思いを私も持っており、重度障害の家族がいたとは話せるけど、ヤングケアラーだとは表明できない。私が、ヤングケアラーと言った途端、「家族をダシに使ってる」気がしてしまう。 自分の状態を表明することを家族のしがらみによって憚られること、大変息苦しく日本の家族の閉塞感を示してるように思う p.96 <とくにどこかでできてしまった傷、えぐられるような傷を自分のなかに感じているならなおさら、語られないことのほうが重い、語られないことのほうに意味がある。こうして一生懸命に書いているが、ここで語れないこと、語りたくないことのほうに圧倒的に意味がある。語らないことで、心が落ち着く。語れば落ち着かなくなり、それを無理やり落ち着けようとして、無理な着地点を探して、安っぽく類型的になる。>
- 2025年9月26日
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