

紫嶋
@09sjm
読書備忘録
文芸から新書から学術書まで、幅広く読みます
- 2026年5月14日
金木犀とメテオラ安壇美緒借りてきた読み始めた - 2026年5月13日
紙の動物園ケン・リュウ,古沢嘉通借りてきた読み終わった氏の出世作を含む全17編の短編集。ボリュームたっぷりで、読み応えと満足感が素晴らしく、ページ紙のセピアカラーの色合いもたまらない。紙の本で是非読んでほしい一冊。 全体のジャンルとしてはSFで、いくつかはほんのりファンタジーであったりヒューマンドラマであったり。自由で柔軟な無限の広がりを感じる発想と、人の心理の繊細な描写が光る。 作者の生まれと文化のルーツである中国や、周辺の日本を含む東アジアの描写、価値観、宗教観などを積極的に取り込んだ作風は、不思議な心地よさや馴染み深さ、ノスタルジーのようなものすら感じた。 時には欧米人からアジア人に向けられる容赦ない差別の眼差しや、中国・台湾が戦時中に経験した苦しい歴史にも触れられており、そうした描写に日本人として胸が痛む。 ハリウッドで映画化されるような、欧米的SFとはどこかテイストの異なるSFに感じたのも、もしかすると作品の中にどこか香る東アジア的な考え方、価値観によるものなのかもしれない。 たとえば近未来的技術の果てに辿り着く境地はどこか悟りにも似て、人間の進化の先で新たな姿形へ変容する様子も輪廻転生を思わせる。 その中で迷い、葛藤し、後悔し、時に自己犠牲的な選択すら厭わない人の姿に惹かれた。 この一冊を読んだだけでも、作者の生み出す物語や世界観にグッと魅了された。 他の短編集も是非読んでみたいと思う。 - 2026年5月4日
十角館の殺人 <新装改訂版>綾辻行人買った読み始めた電子書籍 - 2026年5月3日
コンビニ人間村田沙耶香借りてきた読み終わった文量文体ともにライトで、大変面白く一気読みしてしまった。 「普通な」「真っ当な」「正しい」人間であること、そういう生き方を社会は絶えず要求してくる。そういう社会に疑いを持つことなく、上手く適合できた人間は、社会の「声」を代弁するように、今度は身近な人間にも「(自分のように)そうあれ」と布教するが如く執拗に要求してくる。 そしてその要求に応えられないことが確定した時、人は「社会不適合者」の烙印を押されて非難や軽蔑の対象となる。 この物語に登場する恵子も白羽も、どちらもそういういわゆる「社会不適合者」で、社会的には似たような(どうしようもない)状況にあると見做されるだろうが、精神が置かれた状況は随分と対照的だなと感じた。 白羽は、今の言葉で形容するなら「弱者男性」というやつだろう。言動の一挙一動、被害者意識をそのまま他者への加害性にシフトさせるような振る舞い。正直言ってかなりキショいし、そしてあまりにリアルな描写に、こういうヤツ現実にもたしかに一定数いるんだよな…と頭を抱えてしまいそうになった。 恵子に対し「普通の人間」であることを要求する周囲の反応の数々もまた終始リアルで、社会に適合できている自分は他者の人生をジャッジする権利があると言わんばかりの言動に、不快感や不気味さを覚えると同時に、でも「普通」の人たちって実際こうだよな…という絶望的な納得感もあった。 全編を通して、恵子のことを「ちょっとぶっ飛んでるな」とは感じたが、おかしいと非難や軽蔑をする気にはならなかったのは、私自身もまあまあ社会不適合者で、多分恵子側の人間だからなのかもしれない。 恵子の中にある「普通な」「真っ当な」「正しい」の基準は、社会的な基準とはズレていて、それが奇跡的にぴたりとハマる場所がコンビニだったんだろうと思う。 社会には適合できなくとも、コンビニという場所であれば積極的に自分を適合させることができ、コンビニ店員という生き方であれ ば、世界の歯車の一部にだってなれた。 単なる職業という以上に、生き方としてのベ ストが、恵子にとってはコンビニ店員だった(それがたとえ「人間」としての生き方としては非難されるものであっても)。 ただそれだけのことだよな、と思う。それでいいのにね、とも思う。 恵子がそうした生き方を早くから発見できていたこと、それを真に自覚することができたことをもって、私はハッピーエンドだなと感じた。 - 2026年5月1日
この闇と光服部まゆみ借りてきた読み終わったこれはネタバレなしで是非とも読んでもらいたい一冊。 「あ、そういうこと!?」「え、そうなの!?」というポイントがいくつもあり、この先何が起こるんだろう…という好奇心が最後まで続いた。 (以下ネタバレ注意。) 明かされる真相に驚いたり、真相のさらなる核心に想いを馳せるという点ではミステリかもしれないが、この物語の真髄は恐らくそうした表面的な出来事や事実ではないのだろうな、とも思う。 年齢という精神的制約と、視力という物理的制約によって「現実」を知らずにいる幼子が、最も純粋な幼少期に美しいものだけを与えられ、創り上げられた幻想の中で育てられたなら。その子にとってはそれこそが世界の全てであり、完成された箱庭であり、拠り所であった育ての人は神にも等しい存在であり…。 現実から見ればそれらは虚構でしかなく、真相を解き明かそうとすればするほど犯罪性や犯人像といった身も蓋もなく無粋な言葉に置き換えられていってしまう。 幻想を解体し、現実に適応することが正しいのだと頭ではわかっていても、それをどこかで惜しいと感じてしまう。 それほどまでに、信じ込まされていた幻想や、そこで与えられた芸術の美には抗いがたい魅力があった。 ネバーランドの喪失を体験するような痛みを、主人公を通してこちらも味わうかのようだった。 - 2026年4月23日
慄く 最恐の書き下ろしアンソロジー北沢陶,恩田陸,有栖川有栖,櫛木理宇,背筋,貴志祐介借りてきた読み終わったこれで、角川の最恐アンソロジーシリーズは3冊とも読破したことになる。 いずれにも言えることだが、商業の小説アンソロジーとはいえやはり玉石混交感は否めない。「最恐」と謳いつつもあまりにぬるいホラーであったり、そもそもホラーなのか微妙な作品もあったり。正直、満足感はそれほど高くないシリーズであった。 勿論そこにはこちら側の好みや価値観もあるため、作者や本に全責任を被せるつもりはない。 逆に言うと、普段は好きな作家の本だけを選んだり、あらすじであらかじめ好きそうな話を絞ったりしがちな読書習慣において、時々はこうして様々な作家の作品が集められたアンソロジーに手を伸ばしてみると、いろんな発見もあった。 昔から好きな作家については、やっぱり好きだなあと再確認できたり。 新たに好みの作風の作家を知ることができ、読書の幅が広がるきっかけになったり。 (逆に、あーこの人の話はやっぱり合わないなとか、こういう文体は苦手だなと思うこともあるが笑) そういう意味では、アンソロジー本を読むことは常に「冒険」だなと思う。 この「慄く」に限って言えば、北沢陶さんの文章と出会えたことは実に良き体験だった。今度改めて北沢さんの本を読んでみようと思う。 - 2026年4月21日
傷のあわい宮地尚子借りてきた読み終わった同じ著者の『傷を愛せるか』がとても良い本だったため、こちらも読んだ。 あちらが幅広く様々な心の傷を取り上げていたのに比べると、こちらの本は主に異国に暮らす日本人や、異文化・別国籍の人間であることの苦労などをテーマとしているため、そういった意味では「当事者感」があるか否かは読者によって分かれるかもしれない。 私自身も、日本人として日本で生まれ育ち、留学経験などもなく、あまり周囲に他国の人がいたこともない人間のため、どちらかといえば本のテーマからは外れる人間ではあるが、著者の客観的かつ繊細で柔らかなフィルターを通して語られる物事を読み進める中で、ふとした瞬間に「我ごと」としても捉えられる普遍的な問題がいくつもあった。 またこの本で語られている、異国に暮らす日本人が陥りやすい精神不調、国籍の違いから生じる偏見や軋轢といった課題は、現在であれば日本国内で暮らす外国出身の人々が抱えている問題にも繋がってくると思う。 その人たちや、その人たちの置かれている環境を、どう客観的に捉えて解釈していくのが良いのか…というヒントも、この本の中にはあるのではないか。 そういった点では、誰もが「当事者」になり得るテーマを多分に含んだ一冊である。 - 2026年4月9日
天龍院亜希子の日記安壇美緒借りてきた読み終わったこれはまず、あらすじ紹介文が悪いというか誤解を招くというか……。 「元同級生のブログに綴られていたこととは——」と煽るような文言になっているが、作中でこのブログの存在や内容が物語に深く関わってくることはなく、主人公にどんな影響を与えているのかも明確ではなく、そもそもブログ文もちらほら意味深な演出のように合間に挟み込まれるだけ。決して何かミステリーや謎解き要素があるわけではない。 主人公の過ごす日々へ対する暗喩や皮肉だったのかもしれないが、何のために存在していたのかイマイチ印象に残らなかった。このブログがなくても、成立する小説だったような。 タイトルも、確かに「このタイトルでこの内容なんだ!?」という驚きにはつながるかもしれないが、肝心の天龍院亜希子という人物やブログが物語の装置として不完全である以上、「逆に何でだよ…」みたいな腑に落ちなさの方が勝ってしまった。 希望の話だ!という売り文句もあるようだが、はたから見ていると「なんとなく普通の枠に収まるように生きてる男が、なんとなく仕事が多忙でしんどくなりつつも、なんとなく結婚もイイ感じになりそうだから、なんとなく未来も明るいカモ!」という話でしかなく…。 これが若者のありのままだ!と言われると、そうなのかなぁ、まぁそうなのかもしれないけどなぁ…。 浮気して同僚と複数回ラブホに行くようなやつが、その事実を棚上げにして勝手に見出した希望に読者として何故共感せねばならないのか?としらけてしまった。 - 2026年4月6日
赤と青のガウン彬子女王借りてきた読み終わったどなたが書いてるか云々以前に、まず純粋にエッセイとして面白い! 英国での暮らし、オックスフォードへの留学の仕組み、博士課程のハードさ、海外における日本美術研究のあり方、時折挟み込まれる皇室事情などなど……知らない世界の話が、苦労をなされた御本人の飾らない語り口調で綴られていて、とても楽しくまた興味深かった。 英語が決して得意ではなかった方が、現地の厳しい指導や環境にここまで食らいついて博士号を得て帰ってくるとは、とてつもない努力と根性、そして情熱があってこそだなぁと、ご身分関係なく一人の人間として尊敬の念を抱く。 また、お父君とのやりとりや思い出の記述からは、普通の家庭の父子とは違う難しい距離感も感じながらも、それを飛び越えた双方の愛情が滲み出ていて、読みながら目頭が暑くなる思いもあった。 彬子女王が記された新しいエッセイも発売されたと聞いたので、そちらもぜひ読んでみたい。 - 2026年3月28日
女二人のニューギニア有吉佐和子借りてきた読み終わったある種の無謀さと軽率さで、文化人類学者の友人に誘われるままニューギニアへ行って〝しまった〟筆者の、ドタバタ現地滞在記。 西洋文化(あえて文明とは書かないでおく)がようやく一部の地に届き始めたばかりの当時のニューギニアの、未開の山奥に暮らす部族の様子が書かれているという点では貴重かもしれない。 とはいえ筆者自身は決して積極的に記録するために足を運んだわけではなく、右も左も分からないまま行き、なし崩し的にそこで短期間生活をしていただけなので、文化誌ほどの精密さはない。 あくまでそこでの生活を体験した人の生の声、苦労話や笑い話の思い出という体裁である。 お二人は友人同士ということだが、そういう世代なのか、はたまたこれも本人たちの仲の良さなのか、双方なかなかに歯に衣着せぬ物言いであったり、過酷な環境のせいか気性の癖が強かったりの印象。 他人事として読む分には、面白いやり取りだなーで済むのかもしれないが、実際交流を持て、一緒に生活してみろと言われたら「いや、キツいっす笑」とご遠慮したくなる気持ちが正直あった。 現代に生きる人間の目から見て、半ば興味深く、半ば不愉快でもあったのは、「自分は差別には反対だ!」と意識的に述べている筆者が現地民に向ける眼差しの中に、明らかに無自覚の差別意識が見え隠れすること。それは、彼らを研究対象として現地に住み込んでいる文化人類学者のご友人もまた然り。 これが当時の意識のあり方だったのだろうなという発見や呆れを覚えるとともに、ならば現代人の意識は少しは進歩しているのだろうか…していたらいいな…と願いたくなった。 - 2026年3月26日
営繕かるかや怪異譚 その参小野不由美借りてきた読み終わった大好きなシリーズの三作目。 このシリーズにおいて、怪異や幽霊はとても現象的な存在だなと思う。 明確にこちらを怖がらせよう、害そうという自我を持って迫ってくるというよりも、「そういうもの」としてその場所に浮かび上がってくるような。 何か理由があってそこにいるが、それを言葉にして語りかけてくることはない。 その場所や物の一部であるかのように現れて、瑕疵を置いていく。 だからなのか、それらに対して意味や意思を見出すのはいつも生きている人間側になる。 現象の不穏さや不気味さに呼応するように、自らの心の暗部が浮き彫りになったり、その現象自体への対処とともに、状況に対する自らの解釈も改める必要があったり。 なまじ住まいや土地に強く結びつく現象だからこそ、「無視をして無かったことにする」という選択ができない分厄介なところも、不思議と自然災害めいて感じるというか…。 そして、それらに対して雨漏りを修繕するように、引き戸の滑りを改善するように、そっと手を加えて現象に対処していく営繕屋のあり方が、他にない不思議な余韻を残してくれる。 - 2026年3月23日
冬虫夏草梨木香歩借りてきた読み終わった前作にあたる『家守綺譚』が大変好みだったため、続けて読むことにした。 続編にあたる今作も、日々の営みやその傍らに咲く草花、そして不意に顔を覗かせる人ならざる不可思議な存在たちの様子が、静かで繊細な描写を以て綴られている。 とはいえ、前作と今作には違いもある。 前作が主に主人公の住まう家とその近所の閉じた空間の中での出来事を中心としていたのに対し、今作はその空間を飛び出して、隣県の村々、そして山中へと次第に行動範囲を広げていく。 平地の暮らしと山間の暮らし、それぞれの地で目にする自然のあり方の違い、行動範囲と共に広がっていく現地民との交流などが、結果として前作と今作の僅かな「におい」の違いを生み出しているようにも感じられ、面白い。 今作は実在の地名が多数登場することもあり、主人公が辿ったであろう道のりを地図上で確認しながら読み進めるのも楽しかった。 飼い犬のゴローは何やらなかなかに徳の高い犬のようで、もはやただの犬ではなく神聖な何かになりかけているような気もする。 それでもラストには犬らしく嬉しそうに主人公のもとへ駆け戻ってくる様子が確認できて安心した。 今のところ、本シリーズはここまでのようだが、同じ世界観でまた梨木さんの文章を読んでみたい。続編希望。 - 2026年3月8日
ドミトリーともきんす高野文子借りてきた読み終わった日本の名高い物理学者や植物学者らがもし学生として一つ屋根の下で下宿生活をしていたら?という架空の設定のもと、彼らの科学的な物の見方、遺した言葉などを親しみやすく紹介してくれる漫画作品。 リズミカルなコマ割りと大胆な構図、一方でシンプルな線で描かれた絵柄は、他にない不思議な読み心地の漫画だった。 寮母の女性とその幼い娘と科学者らの対話という構成であることで、普段は難しい科学の話に身構えがちな読者であっても、日常の会話の延長線のような感覚で受け止めることができる。それは不思議と、科学というよりも哲学めいたやりとりにも感じた。 各話の最後では、それぞれ土台となった彼らの著書が紹介されている。私もいくつか、読んでみたいと思える本と出会えた。そうした橋渡し、導入として老若男女楽しめる一冊だと思う。 - 2026年3月1日
皇后の碧阿部智里借りてきた読み終わった同じ作者の八咫烏シリーズは途中まで読んだことがあった。 あちらは和風の世界観なのに対し、こちらはより西洋ファンタジーの要素が組み込まれた作品となっている。 とはいえこちらもまた、作者が得意とする「後宮物語」であるため、後宮周りの描写や仕組みには不思議とどこか東洋の価値観やニュアンスも感じられた。 この『皇后の碧』にも、数多の魅力的な女性達が登場する。後宮という舞台で、さぞドロドロバチバチした女の争いが……と思いきや、逆に彼女らのスカッとするような気持ちのいい絆が垣間見える物語であったように思う。 自由に、強かに生きる女たちの物語だったのかな、と読み終えた今は感じている。 後宮の謎が少しずつ明かされていくプロセスも、最後まで惹きつけられた。 この作品が今後シリーズ化するのかはわからないが、四大元素の精霊達が生きる世界は丁寧に作り込みがされていて、さらに広げることもできそうな印象を受けた。 次作が出ることがあれば、是非読んでみたい。 - 2026年2月21日
借りてきた読み終わった「ゆる民俗学ラジオ」にて紹介されていたのを聴き、内容に非常に興味が湧いたため読んでみた。 ダム建設により閉村した山村「三面村」における人々の暮らしを、フィールドワークとして実際に現地に住み込んだ著者がまとめあげた記録。 単なる表面的、物理的な調査に留まらず、村人との交流を通して山で暮らす人々の世界観や精神性にまで深く踏み込んだ内容となっている。 三面に限らず、かつて日本の各地に存在したであろう山での暮らしのあり方、日本人と山(自然)との向き合い方をそこから透かし見ることができる気がした。 調査研究の記録というと堅苦しいイメージもあるが、この本は良い意味でどこかエッセイのようでもあり、四季に移ろう山の情景の描写や、村民の方言混じりの素直な言葉からは、文学的な味わいすら感じられる。 それらを記録に留めようとした著者の感性の豊かさのなせる技か。それとも、そうした情緒に訴えかけるものを、山は強く放っているのかもしれない。 また、この本は山の暮らしの記録であると同時に、「ダム開発により失われることが確定した村の最後の記録」でもある。 失われたのは三面村という地図上の名前だけでなく、そこで暮らしてきた人々の何百年にもわたる営みや文化、知恵、技術、精神でもあるのだと、この本を通してその重みを思い知らされた。 一度失われれば二度と取り戻すことはできないもの。時代の流れとはいえ、失われたものはあまりに大きすぎるように思う。 本書の終盤、閉村を受けて村人が語った言葉が、胸に刺さった。 - 2026年2月20日
フェイクドキュメンタリーQフェイクドキュメンタリーQ借りてきた読み終わったYouTubeでフェイクドキュメンタリー(モキュメンタリー)ホラーの動画を投稿している『Q』の書籍版。動画の方をよく観ていたため、本の方も読んでみた。 書籍の方もフェイクドキュメンタリーのテイストを崩しておらず、なおかつ主軸はあくまで動画であるというスタンスなので、すでに動画を見知っている人も、書籍で初めて知ったという人も、どちらも楽しめるのではないかと思う。 また書籍版には「動画の投稿後、新たに判明した情報」や「視聴者から寄せられた情報」という形で追記が多数掲載されているので、動画と併せて読む価値ありかと思う。 このチャンネルに限らず、フェイクドキュメンタリーホラーというジャンルもすっかり定着した今日この頃だが、出来に関しては玉石混交ではあると思う。 フェイクであるという前提を大きく言い放ちながらもチープにならず、観る者が思わずゾッとしてしまう、人間の本能的な恐怖を刺激するような良質なホラーが、これからも生み出されることに期待したい。 - 2026年2月11日
家守綺譚梨木香歩借りてきた読み終わった時は明治時代、冴えない文筆家として細々と暮らす青年を主人公に、彼が暮らす家や庭、近隣の土地を舞台として綴られる静かな物語。お利口で可愛い犬もいる。 各話、ひそやかにクローズアップされる植物があり、その描写に四季の移ろいの鮮やかさや風情をしみじみと感じさせられる。花の色、光の温度、風の香り、水の音…それらにじっと意識を傾ける時間を現代人はほとんど忘れかけているが、この本の中には未だそうした時間がゆっくりと流れている。 また「綺譚」の名の通り、主人公の日々の傍らでは、不可思議な出来事や人外的存在がちらりちらりと見え隠れしているが、それらも不思議と当たり前の、自然なこととして見えてくる。 ひとつには、わざとらしくない絶妙な塩梅でそれらを書き表す筆者の巧さがあるだろう。そしてまた、明治時代という設定や、妖しい物事を現実の延長で捉えて疑わない作中の人々の姿勢が、読者までもを呑み込んで「この時代ならあったかもしれないな」なんて気分にさせられる。 日常と隣り合わせに描かれる幻想が温かく、美しく、大変お気に入りの一冊になった。 なお、作中に「先年、エルトゥールル号遭難事件があった」という記述があるため、この物語は1890年以降の設定であることがわかる。 また、様々に登場する地名や地形などから、主人公が暮らすのは現在の京都市山科区であることも見えてくる。 この小説もまた、一味違った「京都小説」なのである。 琵琶湖や湖から疏水の存在も重要な役割を果たす本作、実在する土地に想いを馳せながら読むのもまた一興だろう。 - 2026年2月6日
山に生きる人びと宮本常一借りてきた読み始めた - 2026年2月5日
お梅は呪いたい藤崎翔借りてきた読み終わった「塞翁が馬」「禍を転じて福となす」という言葉があるが、この小説の物語もまさにその通り。呪いの人形・お梅の悪意と害意によるアクションが、巡り巡って周囲の人間をどんどんと幸せにしてしまう、笑いあり感動ありのドタバタヒューマンコメディ……といったところだろうか。 何がどう転んでいくのか、毎話ピタゴラスイッチに似たワクワク感がある。各話ごと独立しながらも、前の話に登場した人物が別の話にも関わってくるなど、クスリとできる仕掛けもある。 人形のお梅自身は決して改心することはなく、どこまでも純度100パーセントの悪意で、呪いの人形としての本懐を遂げようと努力(?)しているのが良い。結果的に人間を幸せにしてしまい、毎回ひとり悔しそうにしているところに愛嬌も感じてしまう。これからもお梅にはどこまでも邪悪な呪い人形でいてもらいたい笑 作中には時事ネタや作者のメタ的なツッコミなどもあり、それをユーモラスと捉えるかサムいと捉えるかは少々人によって分かれるところか。良くも悪くも、今この時代にリアルタイムで楽しむ用のエンタメ小説だろう。 - 2026年2月1日
観応の擾乱亀田俊和借りてきた読み終わった室町幕府黎明期、足利尊氏と直義の兄弟同士が争った内紛「観応の擾乱」について、そのきっかけ、経緯、経過、顛末までを細かく解説した、非常に読み応えのある新書。 短い期間で優劣が劇的に入れ替わり、勢力の分布や敵味方の構成も絶えず変動する内乱が、わかりやすくまとめられている。 日本史に疎く、武将の名前もろくに覚えられないような私でも混乱することなく、むしろ歴史の面白さに引き込まれて、手に汗握るような気持ちで読み切れたことに感謝である。 また、擾乱期の戦のみならず、並行して幕府で誰がどのような政治を行なっていたかについても書かれているため、結果として室町幕府の初期の頃の組織や政治のあり方についても理解が深まった。 表面的には兄弟の争いとされる「観応の擾乱」だが、詳細を追えば追うほど、社会情勢や取り巻きらの思惑が複雑に絡み合う状況が見えてきて、兄弟当人らは本当はどうしたかったのだろうか……と一抹のやるせなさが残る。 結果的に勝者となったのは兄の足利尊氏だが、彼が「何をしたのか」は伝わっていても、「何を考えていたのか」は明確には見えてこない。歴史とはそういうものだというのを差し引いても、尊氏という人物はどうにもわかりにくいな、と感じる。 彼に焦点を当てた学術書などを、もう少し読んでみたいという気持ちになった。 本書は「観応の擾乱」について知りたいという方には大変おすすめできる一冊だが、一方で足利兄弟、とりわけ尊氏をどのように評価するかについては、少々筆者の私情というか、尊氏に肩入れする形での感情論・精神論的記載がわずかに入り混じっている点には注意が必要と思う。 もっとも、そもそもの前提として足利尊氏を朝廷(天皇)に対する逆賊とみなしたり、室町幕府を低く評価したりするような風潮が戦前戦中に生まれていることもあり、それに対する反論の意もこもっているのだろう。
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